結城秀康生誕450周年を記念した
各地の展覧会にて、
刀 無銘正宗 (石田正宗)
(展示:福井市立郷土歴史博物館)
御手杵(レプリカ)
(展示:結城蔵美館)
太刀 銘 国行(号 明石国行)
(展示:福井県立歴史博物館)
上記が展示されることを記念し、 刀剣乱舞ONLINEとのコラボレーションが決定いたしました。
各会場では等身大パネルの設置、コラボグッズの販売などのさまざまな企画を実施いたします。
詳細は公式X(結城秀康生誕450周年記念)ほか、各コラボレーションサイト等で 随時更新してお知らせいたします。
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刀剣乱舞ONLINE
とのコラボレーションが決定!
結城秀康生誕450周年を記念した各地の展覧会にて、〈刀 無銘正宗(名物石田正宗)〉展示:福井市立郷土歴史博物館〈御手杵(レプリカ)〉展示:結城蔵美館〈太刀 銘 国行(号 明石国行)〉展示:福井県立歴史博物館が展示されることを記念し、刀剣乱舞ONLINEとのコラボレーションが決定いたしました。
各会場ではコラボグッズ販売など様々な企画を実施いたします。
詳細は公式X(結城秀康生誕450周年×刀剣乱舞ONLINE)ほか各コラボレーションサイトにて随時更新してお知らせいたします。
刀剣乱舞ONLINE
とのコラボレーションが決定!
結城秀康
生誕450周年記念
― ゆかりの地が織り成す歴史像―
結城家18代当主 結城秀康肖像画 / 浄土宗運正寺蔵
2024年、結城秀康の生誕から450年目を迎える特別な年。
これを記念し、結城秀康ゆかりの地に立つ、福井市立郷土歴史博物館、結城蔵美館(茨城県結城市)、そして福井県立歴史博物館が、結城秀康の生涯を顕彰する展覧会や様々なイベントを展開します。ゆかりの地が協力し連携することで、多方面から結城秀康の実像を紹介します。
結城秀康生誕450周年を記念した各地の展覧会にて、〈刀 無銘正宗(名物石田正宗)〉(展示:福井市立郷土歴史博物館)・〈御手杵(レプリカ)〉(展示:結城蔵美館)・〈御手杵(レプリカ)〉・〈太刀 銘 国行(号 明石国行)〉(展示:福井県立歴史博物館)が展示されることを記念し、「刀剣乱舞ONLINE」とのコラボレーションを行います。
結城秀康生誕450周年の歴史に敬意を表し、ゆかりの地や「刀剣乱舞ONLINE」との協働によって生まれるこの記念すべきイベントによって、結城秀康の功績やゆかりの資料・刀剣を皆様に知っていただければ幸いです。
結城秀康とは
結城秀康(1574〜1607)
◆徳川家康の次男、そして豊臣秀吉の養子
結城秀康は、天正2(1574)年、徳川家康の次男として生まれました。母は家康の側室、お万の方(長勝院)、幼名は於義丸、於義伊などと称しました。
織田信長亡き後の天正12(1584)年、織田信雄(信長の次男)・徳川家康連合軍と羽柴秀吉の間で行われた「小牧・長久手の戦い」の講和により、於義丸は秀吉の養子(人質)として差し出され、羽柴秀康と改名しました。
その後、天正18(1590)年、秀吉による小田原(北条氏)征伐に参陣した結城晴朝は、自身の後継者を秀吉に求めました。これを了承した秀吉は、秀康を結城家への養子として送り出しました。
こうして、秀康は17歳にして結城家18代当主となり結城秀康と名乗りました。
◆18代目 結城家当主
秀康の結城時代の功績で、特筆すべきものがふたつあります。
ひとつは、文禄4(1595)年に結城領の検地を行い(文禄検地)、石高を10万1千石に確定したことです。もうひとつは、城の西側に新たに城下町を築いたことであり、慶長3(1598)年に完成したこの町割りは、現在にも北部市街地の街並みとして残されています。
◆結城時代の功績
慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦が起こると、秀康は家康の命により宇都宮に陣を張り、会津の上杉景勝の動きを封じました。その功績により、越前・北ノ庄(福井)68万石余に加増されて転封となりました。
加増高は諸大名中で一番であり、家康からの高い評価がうかがえます。
秀康は、越前入国に際し、家臣団と共に、結城家と関わりの深い孝顕寺などの寺院や有力な町人なども移転や移住をさせており、その華やかな引っ越しの様子は「結城引っ越し」と称され、後世に語りつがれています。
◆結城から福井へ
越前に移った秀康は、畿内や北陸の押さえという大役を任せられ、軍事的に工夫をこらした城下町を建設しました。一方、城下町の飲み水を確保するための上水路なども整備しました。
秀康の城下町作りは、現在の福井市街地発展の基礎となっています。
また、秀康は、武勇に秀でた人材を多く抜擢するなど、家臣団の育成に努めました。
こうした秀康の人材登用があればこそ、秀康亡き後の福井藩が大坂夏の陣という天下統一の総仕上げで、真田幸村を討ち取るなどの大きな功績を挙げることができたのです。
◆福井時代の功績
秀康は、徳川秀忠の兄でありながら、将軍になれず、二度の養子を経験したという点では、「不遇」であったかもしれません。
しかし、そうした運命を受け入れ、家康や秀忠から信頼され、徳川政権の樹立にあたって重要な役割を果たしたのは間違いありません。
また、現在の結城市や福井市の町並みの礎も築きました。苦労人で優秀な秀康でしたが、慶長12(1607)年、病気により、惜しくも34歳の若さでこの世を去りました。
◆秀康の運命
COMPANY
刀剣乱舞ONLINEとは
DMM GAMESとニトロプラスが手がけるPCブラウザ&スマートフォン向け刀剣育成シミュレーションゲームです。
本ゲームには、名だたる刀剣が戦士へと姿を変えた”刀剣男士”と呼ばれるキャラクターたちが登場。個性豊かな刀剣男士を収集・強化・育成、部隊を結成しさまざまな合戦場を攻略していきます。
本作の流行により若い女性を中心に刀剣愛好家の層は広がり、「刀剣男士」のモチーフとなる刀剣を求め全国各地に足をはこぶ人々が増えています。
また本ゲームと刀剣を所蔵する寺社や博物館・美術館などが協働することで、文化財を活用した観光振興・地域活性化、これまであまり展示されることのなかった品が展示される運びとなるなど、その影響は幅広い分野に波及しています。
©️2015 EXNOA LLC/NITRO PLUS
結城秀康生誕450周年記念×刀剣乱舞ONLINE
※イベント内容は変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。